登別温泉9つの泉質ガイド
硫黄泉
見た目は乳白濁で、独特の臭いがし、石鹸の泡立ちは悪い。毛細血管や冠状動脈を拡張させる働きがあるため、慢性気管支炎や動脈硬化症に効きます。解毒作用もあり、慢性皮膚病などにも良い。
食塩泉(塩化物泉)
日本では最も多い泉質のひとつ。無色透明で、しおからい味がして、石鹸は泡立ちません。保温効果が高くて、ポカポカと湯冷めしないため「熱の湯」とも呼ばれます。神経痛や腰痛、冷え性などに効き目があります。
明ばん泉(含アルミニウム泉)
明ばん泉は火山地帯に多い。皮膚や粘膜を引き締め、慢性の皮膚疾患や粘膜の炎症、水虫、じんま疹などに良い。道外では草津温泉が有名です。
芒硝泉(硫酸塩泉)
硫酸塩泉のひとつ。陰イオンが硫酸イオン、陽イオンはナトリウムが主成分。無色透明で塩味があります。高血圧症や外傷、動脈硬化症状などに良い。
緑ばん泉(含アルミニウム泉)
陰イオンが硫酸イオン、陽イオンは鉄が主成分。強酸性で、銅やマンガンなどの鉱物を含むことが多い。良く温まり、貧血症や慢性湿疹などに良い。
鉄泉(含鉄泉)
鉄イオンを1kg中、20mg以上含む源泉。空気に触れると赤茶色となり、タオルが赤っぽくなります。金属味がすることも。良く温まり、貧血症や慢性湿疹などに良い。
酸性泉
pH(水素イオン濃度)が3以下で、肌に刺激のある温泉。火山地帯に多い。無色透明。 殺菌力が強いので湿疹などに良いけれど、皮膚の弱い人は入浴後に真水で洗い流した方がいいです。
重層泉
陰イオンが炭酸水素イオン、陽イオンはナトリウムイオンが主成分。無色透明で石鹸は良く溶けます。皮膚の角質層を軟らかくし、分泌物を乳化する作用があるので「美人の湯」とも呼ばれます。皮膚病、切り傷などに良い。
ラジウム泉
主体はラドンとトロンで万病に効く温泉として昔から人気がある。特に鎮静作用があることから神経痛、リウマチ、更年期障害などに良い。
登別温泉の歴史
登別の語源
登別の語源はアイヌ語の「ヌプルペッ=白く濁った川・色の濃い川」を意味するといわれます。
古くから川の色が変わるほど豊富に温泉が湧き出していた様が思われます。
また、温泉街を流れる川もアイヌ語で「クスリサンペッ=薬湯そこを通って浜にでる川」の意味。
アイヌ語でクスリとは温泉のこと、アイヌの人たちも大昔から温泉を薬湯として重宝していたようです。
温泉地としての登別
弘化2年(1845年)には北海道の名付け親でもある松浦武四郎も登別温泉を訪れ、その魅力を綴っています。
当時はまだ道らしきものもありませんでしたが、後に安政4年(1857年)からは近江商人の岡田半兵衛が道路を開削。
後には湯治の祖と呼ばれる滝本金蔵が温泉宿を建て、新しい道(現在の道筋)を整備し、現在の基礎を築きました。
また名湯の副産物・硫黄の採掘も国の保護政策に加えられるようになります。
登別温泉の発展
その後、日露戦争の傷病兵の保養地に指定され全国的に知られるようになり、旅館、みやげ店などが建ち並ぶ現在の温泉街の原形が形成されました。
交通の面でも更なる革新が行われ、徒歩か馬車に頼っていたものを、大正4(1915)年に鉄道を敷き軌道馬車にし、大正7(1918)年には蒸気機関車、大正14(1925)年には電車へ、着々と整備が進められました。
電車と民家は同じ発電所から電気の供給を受けていたので、たくさんの人が電車に乗ると電球が暗くなり「今日はたくさんのお客さんが来た」とわかったそうです。こうして登別温泉を訪れる人は増大し、それに伴い登別温泉も発展していきました。
自然湧出量1日1万トン、源泉温度45℃~90℃の高温、そしてなんといって9種類ものバラエティ豊かな泉質が魅力です。これは世界的にも珍しく「温泉のデパート」と呼ばれるほど。古くは湯治場として病気、怪我の療養に利用され、近年では健康な人が心身のリフレッシュや積極的な健康づくりに温泉を利用するなど温泉の効能が見直されています。